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深夜、

コンビニにアイスを買いに行く
くらいの幸福論

白井伶奈

深夜、

白井伶奈

コンビニにアイスを買いに行く
くらいの幸福論

深夜、

白井伶奈

コンビニにアイスを買いに行く
くらいの幸福論

深夜、コンビニにアイスを買いに行くくらいの幸福論

昔あったこと、今あったかもしれないこと、あるかもしれない未来。

そういった「存在しない」幸せと、深夜にふらっと買いに行く「コンビニアイス」程度の幸せについて。

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ある一定の時期まで、漠然と「特別ななにかになりたい」という感情があった。幸せになることは特別になることだという等式が、わたしの世界には存在していた。

「特別」になるために、やりたくもない努力をしたり、身の丈にあわない無理をした。誰かに見てほしくて、認めてもらいたくて、必死で、がむしゃらに生きていた。

2023年11月28日 東京にて

Happiness Is No More Than a Midnight Errand for Ice Cream

社会人になって数年がたって、ふと
「特別ななにかになりたい」
という感情がなくなっていることに気づいた。

努力や、無理や、がむしゃらな生き方をする体力は、
わたしにはもうないのだと悲しくなった。
「特別ななにか」になれる可能性や未来が、もうないことにも。

代わりに「特別ではないなにか」はたくさんある。

金曜の夜、無計画に集まってくれる友達や、明け方までだらだらとゲームに付き合ってくれる友達、なんだかんだで付き合いが続いてる前の職場の先輩、ジャンボリミッキーを一緒に踊ってくれる今の職場の人、毎朝ラインで会社に行ってるかを確認してくる母親。

洗面台独立ではないけどコンビニの近い家、インスタ映えはしないけど過ごしやすく整えられた部屋、家の近くにある変な動物の遊具がある公園、少し遠いけど電車が空いてる通勤ルート。

SNSで流れてくる可愛いチンチラの動画、可愛いビーバーの動画、可愛いウォンバットの動画、可愛いマーモットの動画。

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努力や、無理や、がむしゃらな生き方をすることに憧れる。妬ましく、羨ましいと思う。きっともう、そんな生き方はできないし、わたしは「特別ななにか」になり損なってしまった。それでも「特別ではないなにか」が、わたしのそばにはたくさんあって、幸せかもしれないという平凡でつまらない結論にたどりついてしまうのだ。

深夜、コンビニにアイスを買いに行くくらいの幸福論

このWebサイトは「助教・助手展2023 武蔵野美術大学助教・助手研究発表」での展示作品を、Webページとして再構築したものです。